ディベート甲子園に挑む意味(1)
現役選手の議論に苦しむ声がこだまするTLを眺めながら、GWの終わりを感じています。もうあと何日か休みでもいいような気がしますが。
さて、GWが終わったということは、予選まであと一ヶ月とちょっと、の地区もあると思います。予選なんか眼中にねえ、という学校の方もいらっしゃるでしょうが、普通はこれから予選に向けて議論をシェイプアップさせて行く時期だと思います。
同時に、この時期が一番プレパがダレて辛い時期ではないでしょうか。そんなことはないですかね。少なくともぼくは一番プレパの密度が低かったのはこの時期かな、と思います。
理由は簡単で、GWにあった練習会で一区切りついた気がしてしまい、次の目標まで結構長い時間がある、気がするからです。
気がする、と書いたのは、実際には時間がないからです。去年の6月を思うと、去年の自分に「いやプレパするなら今しかないだろ」と言ってやりたくなりますし、プレパした方がいいと思います。中間試験とかもあるでしょうけど、まぁ、ね。
さて、僕がブログを書こうと思ったのは偉そうにプレパした方がいいぞとイキり散らす為ではなく、ディベート甲子園という存在が自分にとってどんなものだったかなぁ、と少し考えてみたくなったからです。
そんなことを考えている間に受験勉強をしろ、という話なのですが、勉強したくないので仕方がない、という反駁を打たせて頂きます。当たってないけどね世の中はメリットデメリットだけでは語れないこともあるよね、仕方ないよね。
論点1:前提
まず何事を話すにも前提としておくことがありますよね。これはディベートでも大事だと思ってるんですけど、言葉の定義とか、キーワードってなあなあにしたまま議論すると話がゴチャゴチャするじゃないですか。例えば民意とか。辞書的な意味だけがその言葉を表すわけでもないですし、前提を考えることで発展する議論とかありますよね。ディベート1年半しかやってない人間なので、分析が甘くて、もっと詳しい人に言わせれば違うのかもしれませんが、少なくとも僕はそう思います。
話が逸れましたね。
前提としておきたいことそのものは、そんなに複雑なことではなくて、ただ単に「ディベート」をする意味と「ディベート甲子園に挑む意味」を分けたい、という話です。
本当に厳密に分けると議論できなくなってしまうのですが、まぁブログですのでその辺は目を瞑って、出来るだけ「ディベートから得られるもの」というよりもむしろ「ディベート甲子園のワンシーズンを通して得られるもの」について記していきたいな、という風に考えています。
例えば、ディベートから得られるものでよく上がるものとして「批判的な思考を手に入れられる」とか「論理的な思考が云々」とか、そういう話があります。
確かにそういった能力的な面での「メリット」もあると思うんですけど、じゃあディベート甲子園を目指して議論を作って戦っている人たちが、そういう能力開発だけを目的にディベート甲子園を目指しているわけではないと僕は思っていて、そこにディベート甲子園の面白さがあるのではないかと思います。
さて、その中身についてはまた後ほど更新したいな、と思います。