calmix’s blog

ほんの気持ちですが。

ディベート甲子園に挑む意味(2)

お久しぶりです。書きたいこと書かずに終わるのはなんかやだなと思ったので書きます。

そう、平成最後の夏ってワードが最近(これを書いてる時の話です)人気みたいですけど、今年のディベート甲子園に出る人たちは平成最後の夏に甲子園に青春を捧げるわけですよね。なんかいいですね。ちなみに野球の甲子園は今年100回大会だそうです。一方ディベート甲子園は23回ですね。
別にだからなんだという話ではありますけど、ディベートはやっぱりインキャのスポーツなんだな、と思いました。

くだらんことはTwitterで十二分に言ってるので、そろそろ本題に入ろうと思います。

 

論点2:一般的な「大会」や「試合」に臨む意味と同じ土俵で
ディベート甲子園について分析をする前に、ディベートとは関係ないところから分析してみるのも一つありかな、と思いました。

例えばサッカーや野球など、スポーツの「試合」の意味付けはなんであろうか、という話です。
ここでレアケースの話をしてもディベートにアプライできないので、スポーツ推薦とかそういう人特殊な人の意味付けは抜いて考えますが、いくつか心当たるものがあるように思います。

A.楽しい
まず考えるのはこれでしょう。楽しいからサッカーをする、楽しいから練習する、というように楽しいから、という理由づけは割と大きいように思います。
とはいえ、この「楽しい」というのはディベートが楽しい、という面が大きいように思うのでディベートのどこが楽しいかについてはあまり言及しないでもいいかな、と思います。どうせこれ読んでる人ディベーターだし。

 

A‘コミュニケーションツールとして
代わりにこの楽しみ、というものをディベート甲子園に特化させるとこういう言い方もできるんじゃないかと思います。
要は部活(同好会かな?)のメンバーとのコミュニケーションツールとしてディベート甲子園があり、目指しているというパターンです。
これは結構な人が当てはまるのではないかと思います。
あとこれは例外的(であると信じたい)ですが、ディベート甲子園で交友関係を積極的に築こうとしていらっしゃる方もいますよね。いやまあいいと思うんですけど、こっちが主目的になるなら普通にウェイ系と学校で絡めばいいと思うんですよね。インキャがマジョリティのコミュニティなんだからインキャにもうちょっと配慮してほしいなと。あくまで一般論ですが。
話を戻しますと、ここで言ってるコミュニケーションってのはディベートの試合中の話ではなくて、プレパをするとか、反省会をするとか、そういういわゆる「部活っぽいこと」をすることを目的にディベートをやってる人って結構いると思うんですよね。実際、ディベートの試合をしてる時しか楽しくないなら絶対ディベートを継続することなんか無理ですし、こういうところも一要因になってるんじゃないかと、そう思います。

 

B勝てるから
まあこれもあると思ってて、やっぱ勝てると楽しいじゃないですか。論題によりますけど、勝率が悪かったとしても練習会とかも含めると何回かは勝てるんですよね、プレパを他校並みにやるっていう前提でですけども。
というかこれは結構ディベート特有な気もしますけど、意外に努力が反映されるのが早い競技なのかな、とも思います。プレパに耐えれば勝てる議論が出てくるケースもあったりして、目前の試合で勝つ。そうするとやる気も出てきてプレパをするっていう好循環は生まれやすいのかな、と。そういう意味で行くと例えば勉強とかメジャーなスポーツよりも勝つことによってやる気が保持されているケースが多いんじゃないかと思います。実際始めたてなのに負けっぱなしとかだと辛いじゃないですか。競技人口が少ないということはデメリットだけでもないのかなぁという気もします。

 

やっぱりメインはここかなぁと思います。実際細々した動機はあると思うんですけど、そんなに風呂敷広げても畳めないので、この辺で次に行こうと思います。

実際ここまでが前提なんですよね。だからこんなに書くのに苦労してるんですけども。だからここからはサクサクかけるはずなんですよね、メモもあるし。
次は甲子園までに更新できたらいいなぁと思いますけど、どうでしょう。続きが読みたいという声が大きければ多分頑張って書きます。それではまた。

ディベート甲子園に挑む意味(1)

現役選手の議論に苦しむ声がこだまするTLを眺めながら、GWの終わりを感じています。もうあと何日か休みでもいいような気がしますが。

 

さて、GWが終わったということは、予選まであと一ヶ月とちょっと、の地区もあると思います。予選なんか眼中にねえ、という学校の方もいらっしゃるでしょうが、普通はこれから予選に向けて議論をシェイプアップさせて行く時期だと思います。

 

同時に、この時期が一番プレパがダレて辛い時期ではないでしょうか。そんなことはないですかね。少なくともぼくは一番プレパの密度が低かったのはこの時期かな、と思います。

理由は簡単で、GWにあった練習会で一区切りついた気がしてしまい、次の目標まで結構長い時間がある、気がするからです。

気がする、と書いたのは、実際には時間がないからです。去年の6月を思うと、去年の自分に「いやプレパするなら今しかないだろ」と言ってやりたくなりますし、プレパした方がいいと思います。中間試験とかもあるでしょうけど、まぁ、ね。

 

さて、僕がブログを書こうと思ったのは偉そうにプレパした方がいいぞとイキり散らす為ではなく、ディベート甲子園という存在が自分にとってどんなものだったかなぁ、と少し考えてみたくなったからです。

そんなことを考えている間に受験勉強をしろ、という話なのですが、勉強したくないので仕方がない、という反駁を打たせて頂きます。当たってないけどね世の中はメリットデメリットだけでは語れないこともあるよね、仕方ないよね。

 

論点1:前提

まず何事を話すにも前提としておくことがありますよね。これはディベートでも大事だと思ってるんですけど、言葉の定義とか、キーワードってなあなあにしたまま議論すると話がゴチャゴチャするじゃないですか。例えば民意とか。辞書的な意味だけがその言葉を表すわけでもないですし、前提を考えることで発展する議論とかありますよね。ディベート1年半しかやってない人間なので、分析が甘くて、もっと詳しい人に言わせれば違うのかもしれませんが、少なくとも僕はそう思います。

 

話が逸れましたね。

前提としておきたいことそのものは、そんなに複雑なことではなくて、ただ単に「ディベート」をする意味と「ディベート甲子園に挑む意味」を分けたい、という話です。

本当に厳密に分けると議論できなくなってしまうのですが、まぁブログですのでその辺は目を瞑って、出来るだけ「ディベートから得られるもの」というよりもむしろ「ディベート甲子園のワンシーズンを通して得られるもの」について記していきたいな、という風に考えています。

 

例えば、ディベートから得られるものでよく上がるものとして「批判的な思考を手に入れられる」とか「論理的な思考が云々」とか、そういう話があります。

確かにそういった能力的な面での「メリット」もあると思うんですけど、じゃあディベート甲子園を目指して議論を作って戦っている人たちが、そういう能力開発だけを目的にディベート甲子園を目指しているわけではないと僕は思っていて、そこにディベート甲子園の面白さがあるのではないかと思います。

 

さて、その中身についてはまた後ほど更新したいな、と思います。